飯山市西大滝 向きを変えたままの六地蔵

震災を記憶し、復旧・復興からの暮らしを見つめ続けて
震災を記憶し、復旧・復興からの暮らしを見つめ続けて

平成23(2011)年3月12日午前3時59分に発生した、最大震度6強の長野県北部地震。その日からことしで12年が経った。被災地の復旧、復興は進み、以前の日常はほぼ戻ったように見える。が、震災後地域人口は大きく減少し、若者の定住が喫緊の課題として認識される。また、少子高齢化の進行などで震災体験の風化に危機感が高まる。

未曾有の震災から12年。被災地のそんな現状も含めて、震災を記憶にとどめる証人がいる。飯山市岡山西大滝にたたずむ六地蔵。起震時、それまで千曲川側の東向きにいた六地蔵が、栄村方向の北に向きを変え、新聞、テレビニュースで大きく取り上げられた。「被害を最小限に食い止め復旧、復興を励ますお地蔵さん」と。震災後、訪れる人が多く、上げられた賽銭を栄村に寄付したこともあった。

「飯山市の石造文化財」によると、1体に「文化十酉」(1813年)と記される地蔵。ダム建設に伴う道路工事などで火葬場跡の現位置に移転され、西大滝区が草刈りなどして管理している。かつては地域のお年寄りらが前掛け、帽子や衣類などを手作りし、風雪から守ってきたが、高齢化で近年、衣替えも間遠に。

「もうそろそろ、向きを元に戻したら?」という声もあった西大滝区では、地域を大きな被害から守り、復旧、復興を励まし続ける六地蔵は現状のまま存置していく考えという。